命は、当たり前にあるものじゃなかった

☸️暮らしの中の仏教

私の根底には、仏教があります。

「おくりの暮らし手帖」では、あまり仏教を前に出しすぎないでおこうと思っていました。
でも、やっぱりそこは私にとって外せないものなのだと思います。

仏教は、私にとって何か特別なものというより、
背骨のようなものです。

見えないけれど、確かにある。
私の人生の真ん中に、すっと通っているもの。

だからこれからは、仏教のことも、
私の暮らしや経験と重ねながら、少しずつ書いていこうと思います。

その最初に書きたいのが、**「命の話」**です

息子の命を、毎日祈るように過ごした妊娠生活

私は息子を妊娠してすぐに出血があり、病院へ行きました。
そして、そのまま出産までずっと入院生活になりました。

当初、先生からは
「無事に生まれる確率は50%未満」
と言われました。

その言葉の重さは、今でも忘れられません。

妊娠後半になると、お腹の張りとの格闘で、ほとんど動けない毎日。
張りを抑えるための点滴を2種類つけながら、
ただただお腹の子が無事でいてくれることを願う日々でした。

妊娠中、何が一番つらかったかと聞かれたら、
多くの方は「つわり」と答えるかもしれません。

でも、私にとってつわりは、
つらいものというより、むしろ安心するものでした。

「気持ち悪い」が、うれしかった

まだ胎動も感じられない妊娠初期。
入院中の私は、毎日のようにエコーで赤ちゃんの無事を確認していました。

画面の中で小さく動いている息子を見て、
「ああ、今日も生きていてくれた」と、何度もほっとしていました。

そんな中で、つわりがない日は不安でした。

本来なら、つわりが軽いのはありがたいことです。
でも当時の私は、

「今日は気持ち悪くないけど、大丈夫なんだろうか」
「ちゃんと生きてくれているんだろうか」

と、そればかり考えていました。

たまに苦手な匂いを嗅いで気持ち悪くなると、
「ああ、息子は今日も生きてるんだな」と、
逆にほっとしたのを覚えています。

あの頃の私は、
命がそこにあることを、必死に確かめながら生きていたのだと思います。

生まれてからも、安心は終わらなかった

無事に生まれてくれた息子も、しばらくは入院していました。

「生まれたら終わり」ではなく、
生まれてからもやっぱり、心配は続きました。

退院してからもしばらくは、

「今日もちゃんと生きてるかな」

そんなことを、毎日のように思っていました。

今思えば、それは大げさでも何でもなくて、
それだけ私は命というものを、当たり前だと思えなかったのだと思います。

仏教では、「生まれること」も苦しみだと説かれています

仏教では、人の苦しみを「生老病死(しょうろうびょうし)」と教えます。

生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと。この四つは、誰も避けることができない苦しみです。

その中に、「生まれること」そのものも苦しみとして入っているのが、私はとても印象的でした。

昔はこの意味が、正直よくわかりませんでした。

でも、自分が妊娠して、「無事に生まれてくること」がどれほど奇跡のようなことかを知ってから、少しだけその意味がわかった気がします。

命は、ただ自然に与えられるものではなく、

本当にぎりぎりのところで、ようやくここにあるものなのだと。

明日があるとは限らない

親鸞聖人が得度の際に詠まれたと伝わる歌に、

明日ありと思う心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは

というものがあります。

「明日もきっとある」と思っていても、
夜のうちに嵐が吹いて、桜が散ってしまうかもしれない。

それと同じように、
私たちの命も、明日があるとは限らないということです。

現代は、親鸞聖人の時代のように
常に死が隣にあるとは感じにくい時代かもしれません。

でも本当は、今も昔も変わらず、
私たちは**“いつ終わるかわからない命”**を生きています。

生まれた瞬間から、
人はいつか必ず死ぬ存在です。

けれど、その「いつか」は、誰にもわかりません。

だからこそ、
今日こうして生きていることは、
決して当たり前ではないのだと思います。

天上天下唯我独尊の、本当の意味

お釈迦さまがお生まれになった時に言われたと伝わる
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」
という言葉があります。

この言葉は、
「自分が一番えらい」という意味ではありません。

そうではなく、

“この世にたったひとつしかない、かけがえのない命”

という意味だと、私は受け取っています。

私の命も、
あなたの命も、
そして、あの日お腹の中で必死に生きていてくれた息子の命も、
どれひとつ代わりのきかない、たったひとつの命です。

だから、自分の命も、人の命も大切にしたい

私は、息子を妊娠したあの日々の中で、
命というものが、
こんなにも不確かで、こんなにも尊いものなのだと知りました。

毎日「今日も生きていてくれた」と思っていたあの時間は、
私にとって、命の重さを教えてくれた時間でもありました。

だからこそ、今、強く思います。

自分の命も、
人の命も、
決して軽く扱ってはいけないのだと。

もし今、
自分なんていなくてもいいと思っている人がいたら。

もし今、
苦しさの中で、自分の命を終わらせたいと思っている人がいたら。

どうか、思い出してほしいのです。

あなたの命は、誰かにとって「今日も生きていてくれてよかった」と願うほど、大切な命かもしれないことを。

今はそう思えなくても、
今は生きている意味なんて見えなくても、
それでもあなたの命は、
天にも地にもたったひとつの、かけがえのない命です。

そしてそれは、
誰かの命も同じです。

怒りの中で、
悲しみの中で、
どうしようもない思いに飲まれそうになる時ほど、
どうか思い出してほしい。

命は、奪っていいものではない。
投げ出していいものでもない。

命は、
本当はそれほどまでに、尊いものなのだということを。

今日こうして生きていることは、
決して当たり前ではありません。

だからこそ、
自分の命も、人の命も、
大切にしたいと私は思います。

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