仲間外れにされた息子の話
息子が幼稚園の頃の話です。
息子は予定日より1ヶ月半早く生まれたこともあり、
他の子に比べると発達がゆっくりでした。
みんなが当たり前にできることが難しかったり、
興味の対象も周りとは少し違っていました。
戦隊ものやアニメには興味を示さず、
電車や機械ばかりに夢中。
そのため、周りの子からすると
一緒に遊んでも少し物足りなかったのかもしれません。
ある日、ジャングルジムで遊んでいる子たちのところへ
息子が近づいていきました。
すると、一人の子がこう言ったのです。
「〇〇ちゃんはここから動いたらダメだよ」
そして、そのままみんな別の場所へ行ってしまいました。
息子はその場に一人、ぽつんと残されました。
「もう一回、みんなのところに行って入れてって言ってみようか?」
そう声をかけても、息子は動きません。
「ここにいろって言われたから」
そう言って、その場から離れようとしませんでした。
子どもの世界にもある「排除」
先日、研修会に参加しました。
テーマは
「命の尊厳と差別Ⅷ 〜排除の言葉が溢れる社会で、親鸞聖人に学ぶ〜」
というものでした。
講義では外国人排除の問題が取り上げられていましたが、
私はその話を聞きながら、
「これは子どもの仲間外れと同じ構造ではないか」
と感じました。
一見すると全く違う問題のように見えますが、
その根っこにあるものはとても似ています。
- 自分と違うものへの違和感
- わからないものへの不安
- 自分たちを守るために外に出してしまう心
これは大人の社会でも、子どもの世界でも、
同じように起こっているのだと思います。
「三つの考え方」にヒントがある
今回の研修で教えていただいた中で、
特に心に残ったのが、三つの考え方でした。
「和の思想」
「自利利他(三方よし)」
「慚愧(ざんき)の心」
どれも難しい言葉に聞こえますが、
実は日常の中にある、とても大切な考え方だと思います。
和の思想
まずは「和の思想」です。
聖徳太子の「和をもって貴しとなす」という言葉にあるように、
争わず、仲良くすることが大切だとされています。
ただ、ここでいう「和」は、
ただ我慢して合わせることではありません。
お互いの意見をきちんと伝え合いながら、
相手の考えも受け入れていくこと。
その中で、みんなが納得できる形を探していく。
それが本当の「和」なのだと思います。
子どもたちの関係でも、
「何も言わずに我慢する」ではなく、
「気持ちを伝えること」が大切なのかもしれません。
自利利他(三方よし)
次に「三方よし(自利利他)」です。
自分がよくて、相手もよくて、周りもよくなる。
そんな関係を目指す考え方です。
でもこれは、
「誰も嫌な思いをしない」という意味ではありません。
ときには我慢も必要ですし、
思い通りにいかないこともあります。
それでも、
一方だけが我慢し続ける関係ではなく、
お互いが少しずつ歩み寄れる関係をつくること。
それが大切なのだと思います。
仲間外れの問題も、
「誰かだけが我慢して成り立つ関係」では、
うまくいかないのだと感じます。
慚愧(ざんぎ)の心
そして、今回一番大切だと感じたのが「慚愧の心」です。
慚愧とは、
「自分の行いを振り返り、恥じる心」のことです。
少し難しく聞こえますが、
例えばこんなことです。
・あの言い方、きつかったかな
・相手、嫌だったかもしれないな
・自分のことばかり考えていたかもしれない
そうやって、
ふと立ち止まって自分を見つめること。
それが慚愧なのだと思います。
人はどうしても、自分中心に物事を考えてしまいます。
気づかないうちに、
誰かを傷つけてしまうこともあります。
でも、
そのままにしてしまうと、
それは少しずつ積み重なっていきます。
まるで、部屋のほこりのように。
小さなうちに気づけば、すぐに払える。
でも、溜まってしまうと、取り除くのは大変です。
だからこそ、
日々の中で「気づくこと」が大切なのだと思います。
ただ、その「気づき」は、
一人ではなかなか得られません。
だからこそ、人の言葉に触れたり、
教えに触れたりすることが大切なのだと、
改めて感じました。
人の心は「自分が一番」
話し合いの中である僧侶の方が言われていたのは、
「人間の本質は、自分が一番だという心にある」
ということでした。
これは無くすことが難しいものです。
でも、
- それに気づくこと
- その心を少し抑えていくこと
それが大切なのだと。
心のほこり(箒の教え)
人の心は、放っておくとすぐに曇っていきます。
それはまるで、家のほこりのようです。
こまめに掃除をしていればきれいですが、
放置するとどんどん溜まっていく。
気づいたときには、
片付けるのが大変な状態になっている。
心も同じで、
小さなうちに気づいて整えることが大切です。
仲間外れの背景にあるもの
子どもの仲間外れを見ていると、
そこには必ず理由があります。
たとえば、うちの子の場合。
息子がいることで、
- 遊びのペースが変わる
- 思うように遊べない
そう感じた子もいたのかもしれません。
もちろん、それが理由でも
仲間外れにしていいわけではありません。
でも、
「なぜそうなったのか」
を考えることも大切だと思います。
距離を取ることも大切
実際にあった話です。
仲の良いグループの中で、
- 人をからかう
- 注意してもやめない
- 謝らない
という子がいて、
最終的にその子を外したグループができました。
これは「排除」に見えるかもしれません。
でも同時に、
👉 自分たちを守るための選択
でもあったのだと思います。
我慢し続けることが正しいわけではありません。
大切なのは「その後」
距離を取ることは一つの方法です。
でも、それで終わりではありません。
もしトラブルになったときには、
👉 当事者だけで解決しようとしないこと
これがとても大切です。
第三者の力を借りる
人はどうしても「自分が一番」です。
だから当事者同士では、
- 自分の正しさを主張する
- 感情的になる
冷静な話し合いが難しくなります。
特にいじめのような状況では、なおさらです。
だからこそ、
- 先生
- 保護者
- スクールカウンセラー
といった第三者の存在が必要になります。
加害者にも理由がある、でも…
いじめは絶対に許されるものではありません。
でも、
👉 その行動の背景を見ること
これも大切です。
ただしそれは、
👉 正当化するためではなく
👉 解決するため
です。
そして、それを伝える役割は
被害者が無理に背負うものではありません。
ご縁という考え方
仏教では、人との出会いを「ご縁」といいます。
でも、そのご縁は
👉 心地よいものばかりではありません
つらい出会いもまた、ご縁です。
仲間外れも「気づきのご縁」
仲間外れという出来事も、
- 人との距離の取り方
- 自分を守ること
- 相手を思いやること
そういったことを学ぶ「ご縁」なのかもしれません。
親にできること
親にできるのは、
解決してあげることではなく、
👉 一緒に考えること
だと思います。
まとめ
人の心には、
どうしても「自分が一番」という思いがあります。
だからこそ、
- 気づくこと
- 整えていくこと
- 支え合うこと
が必要なのだと思います。
そして、
子どもがつらい経験をしたとき、
それをただの出来事で終わらせるのではなく、
👉 気づきにつなげていくこと
それが大切なのではないでしょうか。

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