勝山水菜のからしあえと、ちょうどいい緊張感

🌿日々の気づき

春ですね。
うちの畑も、ちょっとした収穫祭のようになってきました。

ブロッコリーにキャベツ、そして今の時期といえば勝山水菜
春になると、ぐんぐん伸びてきて、食卓にもよく登場するようになります。

スーパーでよく見る細長い水菜とは少し違って、
どちらかというと菜の花に近い春野菜です。
ほろ苦さがあって、からしあえやおひたしにすると春らしい一品になります。

人に出す料理は、やっぱり少し丁寧に

今回は、その勝山水菜をからしあえにしました。
お寺の行事でお出しするお弁当用です。

家で食べる分なら、私はけっこうだわです。
多少味が偏っても、「まあいいか」で済ませてしまう方ですし、
正直、家の夕飯なんて手を抜いてなんぼだと思っています。

でも今回は、人にお出しするもの
さすがに、いつもの調子ではいけません。

それなのに私はいつもの癖で、
粉からしや味噌、砂糖、酢をそのまま茹でた勝山水菜に入れようとしていました。
けれど、こういう時は先に調味料を別のボウルで合わせてから和えた方が、
味が全体にきれいに回ります。

家で食べる分なら多少ムラがあっても笑って済みますが、
人に出すものとなると、そうはいきません。
やはり、丁寧に作ることが必要です。

人生にもちょうどいい緊張感がいる

そう思うと、暮らしも人生も同じなのかもしれないなと思いました。

私はどちらかといえば、気を抜く方に流れやすい人間ですが、
だからといって、いつもそれでは形にならない。
反対に、何事もずっと気を張っていたら、いつか切れてしまう。

だわな時も必要。
でも、ここぞという時には少し神経質なくらいでちょうどいい。

そのメリハリが、毎日の暮らしを支えているのかもしれません。

仏教では、極端に走らないことを「中道」といいます。
頑張りすぎず、かといって緩みっぱなしにもならず、
その間のちょうどいいところを探していく。

それは、楽器の弦にも少し似ています。

弦は、緩みすぎてもいい音が出ません。
けれど、張りすぎれば切れてしまう。
ちょうどよい張りがあってこそ、美しい音になります。

人生も同じで、
いつも張りつめていたら苦しいし、
緩めっぱなしでは形にならない。

力を入れるところと、抜くところ。
そのちょうどいい緊張感が、
案外、いい人生をつくっていくのかもしれません。

春の畑で勝山水菜を収穫しながら、
そんなことを思いました。

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